桜島観光 桜島黒神 原五社神社(腹五社神社)埋没鳥居
黒神埋没鳥居の場所 鹿児島県鹿児島市黒神町(黒神中学校横)
地図 マピオンマップ GPS E=130.42.31 N=31.34.53
前の県道を200m程北に走ると路肩が広くなった部分があり、駐車できます。
そこには鳥居程インパクトありませんが・・埋没門柱もあります。
大正3年の桜島噴火で3mの原五社神社(腹五社神社)の鳥居が埋没
大正大噴火の前兆は、しでの3日前から始まっていました。
島内のいたるところで井戸が沸騰し、海岸には大量の死魚が浮き、自身が断続的に起きていたのです。
安永噴火の言い伝えから、大爆発の「前触れ」と感じた人も多く、村は騒然とした雰囲気に包まれました。
1914年(大正3年)1月12日、午前10時5分まず、西桜島赤水上が黒煙を突き上げ、10分後には東桜島黒神の鍋山が大音響とともに爆発。黒鉛は上空7000mに達し、全島を被いつくしました。
間断なく轟く爆発音と火山雷、降り注ぐ噴石の雨、更に翌13日には溶岩の噴出が始まり、30億トンの火の波が瀬戸海峡を横断、桜島と大隈半島を陸続きにしてしまったのです。
ここ黒神でも全戸687戸が火山灰に埋没しました。
高さ3mの原五社神社の鳥居は、笠木だけ残して辛うじて見えていましたが、当時の村長、野添八百蔵は、爆発の猛威を後世に伝える為、発掘の中止を指示。そのままの形をとどめることになりました。現在この鳥居は県の文化財に指定(昭和33年)されています。
(現地案内板より)
*鹿児島市のWebページによると、原五社神社は「腹五社神社」とも書き、昔は五社大明神といわれ、寛政10年(1798年)に現在の地に祭られたと伝えられ、桜島の鎮守として月読命、彦火々出見命、素盞鳴命、鵜茅葺不合命などを祭ってあるとのことです。引用元
News 2012年4月、牛根麓稲荷神社の埋没鳥居が一般公開。ページ作成しましたのであわせてご覧下さい。
[写真はクリックすると別ウインドウで拡大します。]
黒神地区 原五社神社(腹五社神社)の埋没鳥居
鳥居の左手にはアコウの木がありました。桜島ではアコウの木を良く見かけます。→アコウ群(天然記念物)
右下の写真は埋没鳥居より入ったところにある、原五社神社(腹五社神社)参道付近の写真です。
参拝するには、埋没鳥居の横を通り、黒神中校舎と体育館間を通って行く必要があり、学校という場所柄、私の様な「おやぢ」が歩いていると、怪しげな侵入者みたいで、結構気が引けました(笑)
現地掲示資料より引用
大正の大噴火(黒神地区)
噴火前の状況
大正2年12月下旬から、旧噴火口南岳で盛んに水蒸気が噴出し、瀬戸、横山方面の井戸水が次第に減り始め、逆に白浜方面では井戸水が増えてきた。
有村では、爆発前に温泉の水が沸騰した。
大正3年●、たびたび地震があり、振動が感じられた。
翌、11日日には、地鳴りを伴う地震があいついだ。
地割れやがけ崩れがおこった。
噴火当時の状況
12日午前10時頃、赤水、横山の真上、海抜400m付近の中腹がすさまじい音を立てて爆発した。
しばらくして反対側鍋山付近中腹からも爆発が起こった。
その後、爆発は、ますます激しくなって噴煙は7千メートル以上にも達し、火山灰があたり一面に降り注いだ。
13日になると、東西2つの火口からいっせいに赤熱した溶岩が流れはじめた。
14日には、横山付近では城山の上、500mのところまで流れ出し、幅2000m、高さ40mにもおよび、横山、赤水の二つの村を埋めた。
15日には溶岩が海岸に達した。
19日には島全体をおおった。溶岩の速さは、毎時50cmであった。
鍋山付近では、瀬戸村、有村、脇村を埋め、1月30日頃には深さ70m幅400mの瀬戸の海峡を埋め尽くし、大隈半島と陸続きになった。
この大爆発による噴出物の総量は8億立方メートル(30億トン)と推定。
噴出後の測量によると、鹿児島湾まわりは、平均1.5mも土地が沈降していることがわかった。
鹿児島私立黒神小学校創立百周年記念誌より
昭和の大噴火(黒神地区)
昭和21年3月〜4月
3月9日、強い爆音と降灰。噴石を交えた大噴煙があがる。
有感の火山性地震はほとんど無し。溶岩の流出始まる。
17日、鹿児島湾が乳色の海となる。黒神地区は非難準備を開始する。
正午には、溶岩流が集落から1kmの松林まで長さ3Km、幅1Km、高さ10mから15mの壁を作って、一日約300mの速さで迫る。
18日、噴火口付近の麓は真っ黒い煙で覆われる。
黒神河原の溶岩流速は毎時12〜13m。
周囲の松林に崩れ落ちる灼熱の溶岩で一瞬にして緑の松が姿を消して行く。
19日、溶岩流は鍋山付近で3方向に分流する。
19日〜20日の間、一分間に数十回の鳴動あり、真っ赤な溶岩の火柱が夜空をこがす。
溶岩の流出速度は毎時6〜7mになる。
23日、溶岩は集落から450mの地点黒神岡に達する。
その高さ10mから30mに及ぶ。
集落の高齢者、子供、女性は非難を完了する。
各戸から一名ずつ壮者が残り、警備と後始末にあたる。
28日、灼熱の溶岩流、ついに黒神の民家3棟を押しつぶす。
29日、地区内の主な建物を撤去、島外に運び出す。
小学校、セメント工場も解体作業を始める。
4月3日、溶岩流は海岸線から約70mに迫り、ついに住屋敷地八割を埋没する。
4日、溶岩、海面に達する。
5日、溶岩、集落平地を埋め尽くす。
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