近代造船発祥の地・国旗日の丸のふるさと 記念碑 道の駅垂水
地図
マピオンマップ GPS E=130.44.51 N=31.33.19
道の駅垂水の南側に位置します。
幕末、西欧列強が東アジアに進出してきた時代に、島津家28代
当主
島津斉彬は「海から来る敵は海で防ぐべき」と考え、桜島の瀬戸・有村・垂水の牛根に造船所を設け、洋式軍艦の建造に取くまれました。また、嘉永6年(1853)、ペリー艦隊が浦賀に来航し、幕府が海防の必要性に気づくと、幕府に大船建造の解禁と、軍艦15艘の建造を願い出られました。
そして瀬戸で昇平丸、有村で大元丸・承天丸、牛根で鳳瑞丸・万年丸が建造されました。
軍艦建造は五艘で終わりましたが、大隈半島と桜島の間の海峡のこの地は、日本における
近代造船発祥の地となりました。
また、島津斉彬公は、昇平丸の建造中、大船建造の解禁を願い出られた際、日本の船と外国の船を区別する為、白地に赤い「日の丸」を掲げるように幕府に提案されています。これを受けて、翌
安政元年(1854)7月11日、幕府は「日の丸」を日本の総船印と定め、安政2年(1855)春、幕府に献上するために鹿児島を出航した昇平丸に、日本総船印としての「日の丸」が掲げられ、万延元年(1860)には国旗へ昇格したのです。
大隈半島と桜島の間の海峡は、
国旗「日の丸」のふるさと≠ナもあるのです。 (記念碑文より)
この斉彬の業績を後世に伝え、地域の活性化や観光客の誘致を図るために、垂水市の有志の方たちで結成した市民グループ「国旗日の丸発祥の碑建立期成会」が主催となり計画、市民や市の出身者に寄付を呼びかけ、集まった約800万円で「道の駅たるみず」に記念碑が造られました。その除幕式が「昇平丸」竣工の日にちなんで2012年12月12日に行われました。
*昇平丸(当時の名称は琉大砲船)の造られた瀬戸村(現・鹿児島市黒神町)造船所跡ですが、現在は「大正溶岩」の下にあります。
[写真はクリックすると別ウインドウで拡大します。]
モニュメントは、昇平丸の実物の6分の1の模型で、高さ4・7メートル、幅1・21メートル、長さ5・17メートル。
私は・・ こういう光景を見ていると、大河ドラマ「篤姫」を思い出してしまいます。
記念碑の写真
昇平丸図 松平文庫蔵(福井県立図書館保管) (右写真)
昇平丸は斉彬公が建造された本格的洋式船(3本マストバーク)。嘉永6(1853)年5月、桜島瀬戸村造船所で建造に着手され、安政元(1853)年12月に間に完成し、翌年幕府に献上されて「昌平丸」と改名しました。
全長約31m、推定排水量370t、砲16門を搭載していました。 →
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発祥云々については・・諸説あるようです。
ページ公開 2012.12.18
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【 近代造船発祥の地・国旗日の丸のふるさと 道の駅垂水 】
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