PhotoKagoshima鹿児島観光写真
鹿児島観光写真
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桜島関連
SAKURAJIMA
桜島の主な観光地を各サブページに紹介
[内容]桜島港フェリーターミナル、国民宿舎レインボ桜島、桜島マグマ温泉、桜島ビジターセンター、桜島海釣り公園、桜島溶岩なぎさ公園足湯、桜島なぎさ遊歩道、烏島展望所、桜州尋常小学校埋没跡の碑、桜島自然恐竜公園、長渕剛 桜島オールナイトコンサートモニュメント、レンボービーチ、月読神社、桜島湯之平展望所、林芙美子記念碑、桜島有村溶岩展望所・有村展望台、黒神 原五社神社の埋没鳥居、牛根大橋、道の駅 たるみず
湯っ足り館 道の駅垂水などを記載。
霧島えびの高原特集
KIRISHIMA
宮崎県にまたがる霧島連山の観光地や山、神社、ミヤマキリシマ等花の紹介
鹿児島神宮
大隅国一之宮 鹿児島神宮
隼人塚
歴史に興味ある方向け・・史跡
熊襲の穴
日本神話の伝わる洞窟にはモダンアートも
荒平神社
海や海岸が綺麗、風光明媚なところにあります。
知林ヶ島
指宿市に浮かぶ島で、砂の道で渡ることができます。
龍門滝(りゅうもんだき)
網掛川中流に位置、日本の滝百選にも選ばれている。この滝は、九州自動車道からも見えるようです。
曽木の滝
曽木の滝(そぎの滝)は鹿児島県大口市を流れる川内川上流に位置し、滝の幅は210m高さ12m、滝の幅が広い事から「東洋のナイアガラ」と称されている。
丸尾の滝
丸尾の滝は、霧島温泉郷丸尾温泉にあり、湯煙を上げ、霧島温泉のお湯を集めて落ちる珍しい温泉の滝です。
千里ヶ滝(千里の滝)
千里ヶ滝(千里の滝)はえびの高原から霧島神宮へ向かう途中、湯之野温泉の近くにある。
龍門司坂(たつもんじざか) 姶良郡加治木町 国指定
加治木島津家が造った街道で、現在500m弱の苔むした石畳の道を当時の状態で見る事ができます。
犬飼滝(犬飼の滝)
犬飼滝の落差 36m 滝幅 21.8m 坂本龍馬が妻お龍と日本初の新婚旅行として、ここを訪れ、姉乙女宛に「蔭見(いんけん)の滝、其滝の巾五十間(約百メートル)」と書き送っている。
塩浸温泉龍馬公園
坂本龍馬が愛妻お龍を連れて日本最初の新婚旅行に訪れた地が霧島。その際、もっとも長く逗留した場所が塩浸温泉です。
祭り等
弥五郎どん祭り (曽於市大隅) (説明本文メイン)
弥五郎どん祭り (写真中心のサブページ)
道の駅おおすみ 弥五郎伝説の里
弥五郎まつり館 弥五郎どんの銅像の写真 岩川八幡神社
鹿児島市内銅像巡り
島津斉彬 島津久光 島津忠義 西郷隆盛 小松帯刀
大久保利光
明治維新に活躍し、日本の近代化に力を尽くした大久保利通は、1830(天保元)年に高麗町の川岸近くに生まれ、のちに加治屋町に移り住みました。
この銅像は大久保の功績をたたえて昭和54年に建てられました。像の足元には、大久保が暗殺された際に一緒に亡くなった馬車夫と馬の像も彫られています。
神社仏閣等
照国神社
照国神社の御祭神は、島津斉彬。昭和20年(1945)8月、戦災によって焼失しましたが、昭和33年に復興されました。
和気神社
和気神社は嘉永6年、薩摩藩主島津斉彬公がこの地が和気清麻呂公流たくの地として調査確定されたことに始まる。 創建
昭和21年(1946年)
鹿児島観光ニュース 鹿児島の観光関連で気になったニュースを時々アップ
2012.05.29 Tuesday
JR九州豪華寝台列車「ななつ星in九州」2013年に運行
今後以下のところあたりを順次掲載してゆきます。
ザビエル協会記念碑
明治魂年、ザビエルが鹿児島に来たことを記念してザビエル教会が建設されました。県下初の本格的石造教会でしたが、昭和20年の鹿児島大空襲で焼失しました。
その後昭和24年にザビエル上陸400年を記念して焼け残った教会の石壁を利用して現在ある項徳碑が建てられました。
平成10年にはザビエル来鹿450年を記念して新しい教会が建てられました。
中央公民館
中央公民館はもとは鹿児島市公会堂といい、大正13年の皇太子殿下御成婚の記念事業として計画され、昭和2年に完成平成17年から国の登録有形文化財となっています。
夜間は中央公園とともにライトアップされ、幻想的な夜間景観が演出されています。
鹿児島市庁舎本館
鹿児島市役所の庁舎本館は、昭和3年、昭和天皇即位の御大典記念事業として新築が決まり、昭和12年に完成しました。 平成10年から国の登録有形文化財となっています。
南日本銀行本店
現在の南日本銀行本店ビルは、昭和12年に建築されました。
鉄筋コンクリート造り、総4階一部6階で、屋上まで27メートルとなっています。3階まで突き通った巨大なコリント式・オーダー(列柱)は迫力があります。平成10年から国の登録有形文化財となっています。
鹿児島銀行本店別館
鹿児島銀行の前身、明治2年に設立された第百四十七国立銀行(明治30年から(株)第百四十七銀行に組織変更)の建物として大正7年に竣工。現在は鹿児島銀行本店別館として使用されています。
ルネッサンス様式で、正面入口両脇にあるイオニア式の柱が目を引きます。平成19年に国の登録有形文化財となっています。
いづろ通り
いづろ通りの一角にたっている石燈亀は、南林寺(現在の松原神社)の参道にたっていたものです。
航路標識という説もあります。いづろの名はこの石燈龍にはじまります。
御着厘
藩庁の精米所のほか、みそ、しょうゆ、酢などの管理、振回し事、評定所、御客屋への仕出しなどをする役所「御春屋」があったことが由来となっています。 ここは、藩政時代から「オツキヤ角」と呼ばれていました。
天文館の碑
島津家第25代重豪が建てた暦の作成や天文観測を行う「明時館(通称「天文館」)」があった場所を示す碑。
藩内の暦はすべてこの明時館から配布され、薩摩暦や鹿児島暦といわれました。
旧鹿児島紡績所技術館
旧鹿児島紡績所技師館は、藩の紡績工場の指導と監督にあたるイギリス人技師たちの宿舎として建てられ、一般には「異人館」と呼ばれています。
イギリス人技師達の帰国後は、大砲製造支配所として使用され、また西南戦争時には西郷軍の仮病院にもなりました。
1882(明治黛年に鶴丸城本丸跡に移され七高造士館等の教官室として利用されましたが、昭和11年、現在の場所に再び移され、昭和37年には国の重要文化財に指定されています。
造船所跡
江戸時代末、イギリスやフランスの船が毎年のように琉球にやって来るようになると、斉彬は外国船の性能に目をつけて、磯に造船所をつくり船の研究と開発に取り組みました。
他に桜島や牛根などでも造船事業が行われ、わが国最初の本格的洋式軍艦「昇平丸」ができ、後に幕府に献上されました。
鹿児島紡績所跡
島津家第29代忠義は、斉彬の遺志を受け継ぎ、大規模な洋式紡績工場の建設を計画し留学生とともにイギリスに派遣された、新納刑部、五代友厚が紡績機械の買い入れや技師を薩摩に招く交渉にあたりました。1866(慶応2)年、イギリス人技師が鹿児島に到着し、工場の建設に着手。翌年には日本で最初の近代的な紡績工場が誕生しました。
現在は、ここに当時の門柱と石碑が残っています。
尚古集成館別館
尚古集成館別館は平成元年に建てられ、5代将軍綱吉養女竹姫が、享保14年(1729)、島津家第22代継豊のもとに輿入れした際に持参したと伝わる雛道具と島津家に伝わる雛人形、御所人形などが展示されています。
薩摩切子工場・植林所・磯くわはら館
斉彬は、薬品を入れるための硬質ガラスなどの研究を命じ、ここに薩摩切子というガラス工芸を誕生させます。その後、尚古集成館内にガラス工場ができ、ガラス製品の量産が始まりました。
植林所は、島津家吉野殖林所を管理するため、明治42年に建築されたものです。
磯くわはら館は、島津家の金鉱山事務所を移築したもので、現在はレストランとなっています。
石橋記念公園
かつて鹿児島市の中心を流れる甲突川にかかっていた五石橋のうち、3っの石橋が移設保存されています。そのうち特に1846(弘化3)年に建造された西田橋は、参勤交代の際に藩主も通る橋で、華麗な造りとなっています。篤姫もこの橋を通って鹿児島城下をあとにしたと思われます。また、この地は、今和泉島津家の浜屋敷があった場所でもあり、大河ドラマのロケ地ともなりました。
八坂神社
祇園之洲にあり、この神社が地名の由来ともなっています。
島津氏と関わりの深い、南方神社・八坂神社・稲荷神社・春日神社・若宮神社の5つの神社を「鹿児島五社」と呼び、篤姫のような島津一門家の子女は正月などに「五社参り」といって、これらの神社をお参りするのが恒例だったようです。
西郷隆盛・従道誕生地
幕末・明治維新に活躍した西郷隆盛は、1827(文政10)年、加治屋町に生まれました。現在その誕生地には、楠の大木にかこまれて「西郷隆盛君誕生の地」と書かれた石碑が立っています。この石碑は、盟友大久保利通の石碑と全く同じ大
きさです。
大山巌誕生地
大山巌は1842(天保13)年、加治屋町に生まれ、西郷隆盛とはいとこにあたります。
西南戦争では政府軍として城山攻撃に加わった大山は、陸軍の近代化につとめ、初代陸軍大臣に就任しました。
山本権兵衛誕生地
山本権兵衛は、軍艦「天城」などの艦長を務めた後、1898(明治31)年、第二次山県内閣の海軍大臣となり、日露戦争を戦いました。1913(大正2)年、総理大臣となりますが、シーメンス事件が起こり辞任しました。1923(大正12)年に再び総理大臣となり、関東大震災の復興に努めますが、虎の門事件で辞任しました。
東郷平八郎誕生地
1847(弘化4)年に生まれた東郷平八郎は、日本海軍の連合艦隊司令長官となり、日露戦争でロシアのバルチック艦隊を撃沈させるなど大戦果をあげました。東郷平八郎の銅像は、錦江湾を見晴らす多賀山公園内に立っています。
若き薩摩の群像
薩英戦争で欧米の力を知った薩摩藩は、1865(慶応元)年、幕府に極秘でイギリスに留学生を派遣しました。
留学生は19名の若者が選ばれ、34歳の新納久修を団長に最年少の長沢鼎は13歳でした。
帰国後彼らは留学経験を活かし、薩摩藩だけでなく日本の近代化のため目ざましい働きをしました。
本立寺跡
清水町本立寺馬場にあった寺です。島津初代忠久から貞久まで五代を祭ってあり、今も石塔が五つ残っています。
はじめ五道院とよび、19代光久の時、本立寺に改めました。昭和63年度市文化財として指定されています。
今和泉島津家下屋敷跡(仁王堂水)
篤姫幼少の頃には、今和泉島津家は複数の屋敷を所有していました。
現在この下屋敷は残っていませんがその、隣に、当時から残る湧き水があります。
仁王堂水と呼ばれるこの水は、茶、酒造りによく、この一帯の
町名である「清水町」の名もこれから起こったといわれています。
黒木為禎(ためさだ)誕生地
黒木為禎は1844(弘化元)年、加治屋町に生まれました。西南戦争では政府軍に参加し、日清戦争では、第6師団長、日露戦争では、陸軍大将、第1司令官として活躍しました。
大龍寺跡(内城跡)
島津家第15代貴久は、1550(天文19)年、現在の大龍小学校がある場所に内城を築いて移り住み、戦国時代から安土桃山時代の約50年間にわたって、島津氏の居城となりました。
第18代家久が城山のふもとに鶴丸城を築いて移ると、ここに寺を建て、大龍寺と名づけました。
今和泉島津家本邸跡 (篤姫生誕地)
第13代将軍徳川家定の御台所となった篤姫が生まれたといわれる今和泉島津家の本邸跡で、敷地は4608坪もあります。
大龍寺(現在の大龍小学校)の西隣にあり、東隣は重富島津家の屋敷がありました。
現在、屋敷は残っていませんが、当時を偲ばせる石垣が通りに面して残っています。
撮影・編集中につき 只今シンプル INDEX Pageであります。
【 Photo Kagoshima 鹿児島観光写真 】
〔
Photo Kagoshima-鹿児島観光写真について 〕
このサイトは、開設者(MORIMORI)が 鹿児島県の観光、鹿児島県の名所等々・・を写真で紹介するサイトで、同じ南九州の宮崎県の観光スポット等を紹介する「
PhotoMiyazaki-宮崎観光写真」のペアサイトとなるものです。鹿児島県のコンテンツは、ページもあまりありませんが、順次増やしてゆく予定です。
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