照国神社(てるくにじんじゃ)
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照国神社の場所住所 鹿児島県鹿児島市照国町19-35地図リンク マピオンマップ GPS E=130.33.9 N=31.35.27 公式ページ JR鹿児島中央駅〜鹿児島市電天文館下車〜徒歩7分 祭神 島津斉彬(しまずなりあきら)創建 文久3年(1863年) 照国神社は島津28代の英明な藩主と言われた島津斉彬(照国)をまつる神社です。 島津斉彬は安政5年(1858年)7月に50歳で急逝 文久3年(1863年)に勅令で照国大明神の神号がさずけられ、翌年東照宮(徳川家康)をまつっていた南泉院跡に社殿がたてられました。 照国神社は明治6年(1873年)には県社に指定、明治15年(1882年)には別格官幣社に昇格。 西南戦争で本殿と宝物は焼失しましたが、5年後に再建されました。 資料館(*有料)では、斉彬公の業績について詳しく知ることができます。 *2009年は島津斉彬生誕200年で無料となっているようです。 鹿児島県下で最も多い参拝者を誇る神社で、初詣や夏祭りの六月灯(7月中旬)などには、数十万の参拝客でにぎわいます。 以下の文は照国神社に掲示してありました御由緒より引用 御祭神は文化六年(1809年)薩摩藩主島津斉興(なりおき)公の嫡男として江戸でご誕生になりました。幼少の頃曾祖父母島津重豪公や母、賢章院の薫陶を受けられ学問を好まれ、広く世界に眼を向けた開明的な考え方と科学的な知識を身につけられました。 公は嘉永四年(1851年)43歳で藩主に就任されるや、幕末の内外多事多難な状況に対応して国事に奔走、欧米諸国のアジア進出の情勢を踏まえて、日本を強く豊かな国にするため、積極的に西洋の科学技術の導入に努められました。さらに、その核なった日本初の西洋式工場群「集成館」を鹿児島に設置され「富国強兵」「殖産興業」という理念のもとに、近代日本の礎をお築きになったのです。 また、公発案による日章旗(日の丸)の制定は、まさに日本が国際社会にその一歩をしるした象徴であります。 公は安政二年(1858年)50歳で薨去されました。 御治世僅か7年でありましたが、この間、明治維新に活躍した多くの人材を育成しておられます。 文久三年(1863年)には御生前の幾多の御事蹟を称えて、勅命により照国大明神の御神号授けられました。そして一社を南泉院の郭内に創建し、翌元治元年照国神社と称しました。 当社は明治六年県社、同十五年別格官幣社に列格せされ、今日鹿児島県の総守護神・氏神様として崇拝されております。 (写真は照国神社にある朝倉文夫作 島津斉彬公の銅像です。) 年間祭典 (ここでは大祭と六月燈のみ記載。詳しくは公式ページの祭典・行事を参照してください。) 祈年祭(大祭) 2月17日 六月燈(領穂祭) 7月15日・16日 例祭(ほぜ祭)(大祭) 10月28日 新嘗祭(大祭)11月23日 島津斉彬公の銅像や、付近に島津久光公の銅像、島津忠義公の銅像があります。。 宿泊・ 桜島近辺の鹿児島のホテル・旅館 「じゃらん」で空室確認・予約→ [写真はクリックすると別ウインドウで拡大します。] |
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中央にある「斉鶴」の木はイヌマキ(幹周り1.82m・木の高さ3.0m) 樹齢 約170年だそうです。170年前だとと天保年間、島津斉彬も近くにいたかも知れませんね。この木は鹿児島市の条例により指定された保存樹となっているようです。 ![]() ![]() |
神門![]() ![]() |
神門 / 拝殿![]() ![]() |
神門を神社側より見る![]() ![]() |
照国神社の写真 鹿児島観光鹿児島観光サイト Photo Kagoshima 鹿児島観光写真 / MORIMORI |
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