PhotoKagoshima鹿児島観光写真 霧島観光えびの高原関連 塩浸温泉龍馬公園 / 鹿児島観光塩浸(しおひたし)温泉龍馬公園の所在地 鹿児島県霧島市牧園町宿窪田3606 地図 マップファンリンク 緯度経度 N=31.49.53.1 E=130.44.47.9 駐車場 国道223号沿いに 普通車10台程度 激動の幕末期に、坂本龍馬が愛妻お龍を連れて日本最初の新婚旅行に訪れた地が霧島。その際、もっとも長く逗留した場所がここ塩浸温泉です。1866年(慶応2年)旧暦の3月、龍馬は、小松帯刀や西郷隆盛らの紹介でここを訪れ、18日間滞在、寺田屋事件での刀傷を癒しました。 塩浸温泉龍馬公園には、龍馬とお龍の霧島での関わりがわかる「龍馬資料館この世の外」、龍馬が湯治した源泉を利用した「塩浸温泉」と「龍馬とお龍の縁結びの足湯」、「坂本竜馬・お龍新婚湯治碑」などがあります。 開園時間(対象施設 龍馬資料館「この世の外」・塩浸温泉) 9:00〜18:00 温泉の受付は17:30まで 休館日 月曜(休日の場合は翌日)12月29日〜1月3日 料金等 龍馬資料館 大人200円 小人100円 (団体10名以上2割引) 塩浸温泉 大人380円 小人140円 *温泉改修工事の為2011年10月末まで休業中。 お車でしたら、和気神社・犬飼の滝も割りに近いので巡られると良いかと思います。 [写真はクリックすると別ウインドウで拡大します。] |
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塩浸温泉の歴史をたどる1806年(文化3年)頃発見。 温泉で鶴が傷を癒していたことから鶴の場と呼ばれ、切り傷や胃腸病に効能があると言い伝えられました。 1866年(慶応2年3月) 坂本龍馬・お龍夫妻が訪れ、18泊程湯治と観光をして過ごしました。 1867年(慶応3年) 福山郷に住む岡本助八が浴場を設け、戊辰戦争の負傷兵に効能があったとして一躍有名となりました。 付近の川岸に塩牡蠣 (白色の固形物) が付いていたことから塩浸温泉と呼ばれるようになり、薩摩藩によって道路や温泉施設が整備されました。 又、当時には珍しい三階建ての建物があり、人気のある旅館として栄えました。 1885年(明治18年) 暴風雨の被害があったものの再興。 1969年(昭和44年) 牧園町営塩浸温泉センターが開業。 1989年(平成元年) 11月23日 「坂本龍馬・お龍新婚湯治碑」 を建立。 1990年(平成2年) 牧園町、牧園町社会福祉協議会により 「塩浸温泉 福祉の里」 として開館。 2009年(平成21年) 建物が老朽化してきたことから2009年3月末限りで入浴施設は一旦閉鎖。 2010年(平成22年) 5月1日に塩浸温泉龍馬公園として、新たな入浴施設と公園、坂本龍馬や観光に関連した資料を展示する施設を整備し、再開業に至りました。 |
塩浸温泉龍馬公園にある資料館「この世の外」でいただいた資料より 坂本龍馬は、1866年(慶応2年)、寺田屋事件で受けた刀傷を癒すため、妻お龍とともに薩摩を訪れ、塩浸温泉で湯治をしながら、霧島を満喫人生最高の日々を過ごしました。この旅が「日本最初の新婚旅行」と言われております。 旧暦(カッコ内は新暦) ■1月21日(3月7日)薩長同盟成立。会談は龍馬到着が遅く、龍馬不在のまま京都薩摩藩邸で開かれた。 ■1月23日(3月9日)24日未明午前2時頃、京都伏見寺寺田屋で三吉慎蔵と共に幕士に襲われ手傷を負うもののピストルで応戦して危機を脱す。大山彦八に救出され薩摩藩邸に囲われる。西郷は兵一個小隊と医師を派遣。 ■2月5日(3月21日)薩長連合の確認を求める桂の書簡に裏書きす。 ■2月12日(3月28日)中岡偵太郎入京。龍馬32歳、この頃中岡の仲人でお龍との結婚を正式に披露。この頃西郷・小松に霧島に傷によく効くという評判の塩浸温泉湯治を勧められる。 ■2月29日(4月14日)龍馬はお龍を連れ、鹿児島に向け京都を出立。 ■3月1日(4月15日)大阪間の薩摩蔵屋敷に着く。船支度を待つ。 ■3月4日(4月18日)薩船「三井九」に乗船。小松、西郷、桂久武、吉井友実等と鹿児島に向かう。中岡慎太郎、三吉慎三も同道。縁結びのこの旅が日本人の新婚旅行第1号となる。二大雄藩の薩長連合が成り、お龍を得この先は薩摩を目脂Lて遊覧の旅。時まさに、爛漫の春である。 ■3月6日(4月20日)下関で中岡・三吉下船。下関に泊まる。 ■3月9日(4月23日)長崎に寄る。 ■3月10日(4月24日)鹿児島着。西郷、小松、吉井邸に泊まる。 ■3月16日(4月30日)吉井友実が譲い、龍馬夫妻塩浸温泉へ。小松帯刀夫妻は3月14日より4月8日まで、25日間霧島栄之尾温泉へ湯治に出発。穏やかな錦江湾に雄大に浮かぶ桜島を眺めながら船で浜之市港へ。日当山温泉へ泊まる。 ■3月17日(5月1日)この日より塩浸温泉で11泊し手傷の治療をす。この間、月日まで特定できないが、和気清麻呂公史蹟に立ち寄る。史蹟といっても斉彬公お手植の松があっただけ。しかし犬飼滝と渓谷を見下ろし、右手に桜島、左手に高千穂峰を望めるこの場所は絶景であった。蔭見滝(犬飼滝)や塩浸温泉は「この世の外かと思われ候はどめずらしき所なり。谷川の流れにて魚を釣り、短筒で鳥を撃つ。誠こおもしろかりし。(姉乙女に宛てた手紙より)」と記されている。塩浸の谷は、岩つつじが満開の頃であり、近くの安楽や妙見の温泉、和気湯など温泉巡りもしただろうし、ニ人は遠い京のことなど忘れ、一生で一番楽しい幸せな日々であっただろう。 ■3月28日(5月12日)龍馬夫妻、吉井友実の案内で、栄之尾温泉の小松帯刀のお見舞いに行く。牧歌的な萱葺きの家が続く中津川路。行く春の風を体いっぱい受けながら、真正面に見える霧島連山に向かって歩いた。足もとには菜の花やれんげ・桜の花が咲き、鳥が鳴き、水ぬるむ春の真っ盛りの中津川街道。和気公やこの地を13年前に訪れ没後8年たった島津斉彬公の実績を偲びつつ、ただのんびりと岳の温泉をめぎした。硫黄谷温泉泊。 ■3月29日(5月13日)龍馬夫婦念願の高千穂峰登山。途中高千穂峰を矢立でスケッチする。馬の背越えではあぶなくてお龍の手を引く。天の逆鉾に笑い、おびただしい霧島ツツジに感動。霧島神宮を参拝し、御神木の樹齢千年近い大杉を見る。華林寺泊。 ■3月30日(5月14日)再び硫貴谷温泉泊。吉井友実が待っており、同行して4月1日塩浸温泉へ帰り7泊する。 ■4月8日(5月22日)日当山温泉に帰り3泊する。 ■4月11日(5月25日)浜之市に帰り船待ちで1泊するも、宿は不明。 ■4月12日(5月26日)浜之市より乗船。鹿児島へ帰る。小松帯刀原良別邸へ約50日間滞在するも毎日どこで何をしていたかは、記録がないため不明。 ■4月14日(5月28日)開成所に行く。5月1日桜島丸来る。 ■5月19日(6月15日)寺内氏より四両三歩の金を借用し、短刀合口をこしらえる。 ■6月2日(7月13日)龍馬夫妻は桜島九にて天保山より出港、帰途につく。 坂本龍馬から姉 乙女への手紙より抜粋乙女さんに差し上げます。前々から申し上げていた妻のお龍は、私が寺田屋で襲われた時に機転をきかせてくれた私の恩人です。3月に京都での治療が終わり、龍と二人で鹿児島へ旅行することにしました。 霧島山へ行く途中、高さ50間(100メートル)ほどのめずらしい陰見の滝(犬飼滝)というものを見ました。ここで10日ほど泊まって谷川で魚を釣り、ピストルで鳥を撃ったりして、大変楽しく過ごしました。それから山頂の「天の逆鉾」を見ようと妻とはるばる登りましたが、これがひどい道で、女の足には難しいようでしたが、やれやれと腰をたたいて登ると、右の絵のような思いもかけぬおかしな顔つきの天狗の面があり、二人で大笑いしました。山頂は、眺めもよく、キリシマツツジが一面に咲いて、実に化粧をしたようでした。・・・・ *写真は龍馬の登ったミヤマキリシマの咲く頃撮影した高千穂峰山頂より見た御鉢 塩浸温泉龍馬公園でいただいた案内チラシの紹介 (画像クリックすると拡大ページが開きます)左二枚:塩浸温泉龍馬公園の紹介・坂本龍馬・お龍のゆかりの地をたどる右二枚:龍馬ハネムーンロード 坂本龍馬・お龍が新婚旅行で歩いた道程 いざ霧島!!100万人キャンペーンスタンプラリー 龍馬ハネムーンロードまっぷ (鹿児島県サイト内)龍馬とお龍の新婚旅行の地「霧島」の関連情報をまとめたパンフレットです。 ページ1 ページ2 (PDF)
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