西郷隆盛の銅像
Statue of Saigo Takamori
西郷隆盛の銅像の場所
住所 鹿児島県鹿児島市城山
地図リンク
マピオンマップ GPS E=130.33.20 N=31.35.30
西郷隆盛(さいごう たかもり、本名: 隆永(たかなが)、文政10年(1828年)〜明治10年(1877年)は、日本の武士(薩摩藩)、軍人、政治家。
薩摩藩の盟友
大久保利通、長州藩の木戸孝允(桂小五郎)と並び、「
維新の三傑」と称される。
西郷隆盛についての詳しくは
Wikipediaなどを参照願います。
(
Saigo Takamori en.wikipedia.org)
余談ですが・・NHK大河ドラマ篤姫では
小澤征悦さんが
西郷吉之助→西郷隆盛を演じてらっしゃいましたね。
図はこの周辺の著名銅像散策用マップです。PCでご覧の方はポイントをクリックするとページ移動します。
この西郷隆盛銅像は昭和2年、西郷没後50年を迎えたとき建立の話がもちあがり、
鹿児島出身の彫刻家安藤照が制作にあたり、昭和12年(1937年)5月に完成したもの。(安藤照は渋谷の忠犬ハチ公像の作者でもある。)
陸軍大将の盛装姿は明治6年(1873年)近衛兵の習志野演習(千葉県)で、雨中に明治天皇のテントを終夜警衛した西郷の姿を念頭に制作したといわれている。/「鹿児島県の歴史散歩」等を参照
西郷隆盛の写真 →
(近代日本人の肖像)
〔 西郷隆盛の銅像 〕
敬天愛人(けいてんあいじん)
REVERE HEVEN;LOVE MAN
天を相手に人生を全うした誠心の英雄
西郷隆盛は幕末維新の指導者で、明治天皇の信頼が厚く日本最初の近衛(このえ)都督陸軍大将になりました。
文政10年(1827年)下加治屋町郷中に生まれた西郷は、幼少を小吉(こきち)通称を吉之助といい南州と号しました。
青年時代に二才頭として農政に関する意見書を提出、藩主島津斉彬(なりあきら)の目にとまり、側近に抜擢され、国事への関心を高めました。ところがその斉彬が急死。
勤皇僧月照と錦江湾に投身、一人生き残って大島に流されました。
その後、大久保利通らの助けで幕府を倒す運動に復帰。
藩論を指導し、薩長連合を結んで、王政復古の大号令を決行。
東征大総督府参謀として江戸無血開城を実現しました。
新政府が樹立した後は、参議として廃藩置県を断行。
岩倉具視(いわくらともみ)、木戸孝允(きどたかよし)らが外遊中の政府を預かりました。
明治6年(1873年)遣韓使節をめぐる政争に敗れて東京から鹿児島に帰った後は、私学校を開き後進の指導にあいありましたが、彼らの血気に押され、ついに西南戦争へと突入。
明治10年(1877年)西郷は城山で自刃しました。
この銅像は、郷土出身の彫刻家、安藤照が習志野大演習で陸軍大将の制服を身につけた西郷の姿を思い描き製作したものです。(現地案内板より)
西郷隆盛年譜
文政10年 |
1827 |
下加治屋町にて、薩摩藩士西郷吉兵衛の長男として出生。幼名は小吉。 |
弘化元年 |
1844 |
藩の郡方書役助となる。 |
嘉永3年 |
1850 |
藩主斉彬に農政に関する建白書を提出する。 |
5年 |
1852 |
伊集院俊と結婚する、同年、父吉兵衛死去。 |
安政元年 |
1854 |
中小姓に昇進し斉彬に従って江戸に上る。 |
4年 |
1857 |
徒目付・鳥預り・庭方を兼任する。 |
5年 |
1858 |
島津斉彬逝去。月照と錦江湾に入水、西郷蘇生、奄美大島へ配置流。 |
文久2年 |
1862 |
6月徳之島へ遠島、8月沖之永良部島に移され入牢。 |
3年 |
1863 |
川口雪渓と出会い、詩作と書の指導を受ける。 |
元治元年 |
1864 |
藩より西郷召喚の命が下り鹿児島へ戻る。藩の軍賦役となる。 |
慶応元年 |
1865 |
太宰府にて三条実美ら五卿と会うのち帰藩し、大番頭・一身家老となる。 |
4年 |
1868 |
木戸孝允、坂本龍馬と会盟、薩長同盟成立のち帰藩、藩政改革と陸海軍の拡張を進言。 |
3年 |
1867 |
王政復古に活躍し新政府参与となる。 |
4年 |
1868 |
勝海舟と会談し、江戸城総攻撃の中止命令を出す。その後薩摩へもどる。 |
明治元年 |
1868 |
戊辰戦争で東征大総督参謀。 |
3年 |
1870 |
鹿児島藩大参事となる。 |
4年 |
1871 |
参議となる。 廃藩置県に尽力する。 |
5年 |
1872 |
明治天皇の西日本巡幸に随員の長として同行。参議兼、陸軍元師と近衛都督を兼任。 |
6年 |
1873 |
陸軍大将となる。征韓論をめぐる対立から辞表を提出、11月鹿児島へと帰郷する。 |
7年 |
1874 |
私学校本校・砲隊学校を設立する。 |
10年 |
1877 |
西南戦争に敗れ、9月城山で自刃(49歳)。 |
西郷隆盛の像の前の国道10号線を隔てた中央公民館前庭に記念撮影の台座がありました。
中央公民館隣にある宝山ホール前には小松帯刀(こまつたけわき)の銅像もありますので、あわせてどうぞ。
西郷隆盛像 いろいろ
上野の西郷像
西郷隆盛の銅像と言えば、やはり一番有名なのは上野の西郷銅像でしょうね。
草履ばきの狩猟姿で愛犬をひいているこの西郷銅像は26年より6年の歳月をかけ完成、作者は彫刻家、高村光雲。
糸子夫人はこの姿に少し不満だったようす。
鹿児島空港近く( 霧島市溝辺町・西郷公園)の西郷像
高さ11m、台座の高さ5m、という巨大な銅像である。紋付き羽織はかまの正装。
沖永良部島の西郷像
沖永良部島和泊町の南洲神社境内にある西郷隆盛像。
上野の西郷銅像と同じく狩猟姿で犬をひいているが全体に一まわり小さめ。材質は強化プラスチック。
昭和51年、西郷没後100年を記念して南日本放送が"大西郷博"を開催したとき作成したもので、博覧会終了後、和泊町の熱心な要請にこたえて贈られたものだそうです。
日当山温泉の西郷像
たびたび湯治や狩猟に訪ねた日当山の温泉街に、釣りを楽しむ西郷さんのユーモラスな像が建つ。
【 西郷隆盛の銅像 】
鹿児島市内銅像関連ページ
島津斉彬 島津久光 島津忠義 西郷隆盛 小松帯刀 大久保利光
〔
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