弥五郎どん祭り 曽於市大隅(鹿児島県無形文化財指定)例年11月3日開催、約900年の伝統を持つ祭りです。 |
弥五郎どん祭り (昭和63年 鹿児島県無形民俗文化財指定)弥五郎どん祭りの伝わる 鹿児島県曽於市大隅、岩川八幡神社の場所 住所 鹿児島県曽於市大隅町岩川 地図リンク マピオンマップ(岩川八幡神社の場所) GPS E=130.59.21 N=31.35.28 宮崎自動車道都城IC.から約20分。JR日豊線都城駅からバスで約40分 弥五郎どん祭りの由来大隈路に秋も深まる11月3日、この日は900年の伝統を持つ県下三大祭りの一つ「弥五郎どん祭り」が行われる。この日の弥五郎どんは身の丈約5mの巨体に27反の梅染めの衣をまとい、4m24cmと2m85cmの大小の刀を腰に帯び、手に5m40cmの鉾を持ったその姿は勇壮そのものである。 夜中に響き渡る弥五郎どんふれ太鼓とともに弥五郎どん起こしが始まり、早朝6時頃岩川八幡神社の境内にその雄姿を現す。弥五郎どん起こしに参加すると一年無病息災と言われ、たくさんの人が参加する。そして、祭りのハイライトである「浜下り」へと、威風堂々と四方を圧し、街中を練り歩く姿は、無く子も止むといわれている。 元来門前の馬場集落が祭りをい仕切ってきていたが、昭和41年から商工会青年部が中心の町全体の祭りとなり、県下三大祭りにふさわしいものとなった。 弥五郎どんの由来弥五郎どん祭りは、非業の死を遂げた隼人の霊を鎮めるために行った放生会(ほうじょうえ)という祭礼と農村祭りのホゼ(農年祭)が結びついたのではと言われております。弥五郎どんの浜下り祭事は「王の神幸」の行事と思われるが、弥五郎どんを先頭に行列が続きます。 おこの神幸が八幡神社の放生会(ほうじょうえ)とつながり、また時代と共に次第に偶像化し、巨人崇拝ともつながって大きな威巌のある弥五郎どんとなり、隼人の首領とも言われています。 別説には弥五郎どんは、6代の天皇に仕えたという伝説上の人物である武内宿禰(たけうちのすくね)とも言われています。 (西暦720年大隅隼人の反乱は1年を越える戦いで、隼人がおびただしい戦死者を出して大和朝廷に平定された。武内宿禰はその朝廷側の人物である) 弥五郎どんは、今では五穀豊穣の祈願や人々を守ってくれる守護神として尊崇を集めています。(現地案内板) 平成21年度(2009年)の弥五郎どん祭りの催し等八幡神社1:00(弥五郎どんふれ太鼓 製作)青年らが「弥五郎どんが起きっどー」と街へふれ歩き、 神社拝殿で組み立てをはじめる。 4:00(弥五郎どんおこし) 7:00(弥五郎どん完成) 10:30(弥五郎太鼓奉納) 展示即売 甘酒、弥五郎Tシャツ 休憩所 弥五郎どんの昔の写真展示 浜下り、市中パレード弥五郎どん浜下り13:00(八幡神社出発)〜 14:00(鹿交駐車場)〜 14:40(国の合庁前)〜 15:45(八幡神社) 市中パレード 11:00(鹿交駐車場出発)〜12:30(岩川小学校) 奉納武道大会 他剣道 柔道 空手 相撲 弓道 少女バレーボール大会 のど自慢 プロ演芸 歌謡ショーなど。宿泊・ 桜島近辺の鹿児島のホテル・旅館「じゃらん」で空室確認・予約→ 桜島近辺鹿児島のホテル・旅館 |
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弥五郎奉納太鼓 |
弥五郎どん 浜下りやはり弥五郎どんが神社から下り、鳥居をくぐるこのシーンは定番中の定番、お約束?おさえておきたい部分ですが、周辺は都心の通勤ラッシュ並の混雑であります。 |
高架下は高さが足りない為、傾け通ります。通称イナヴァウワー状態?は最近の祭りの見所でもあります。 |
折り返し後の光景 |
弥五郎どんは最後に八幡神社の坂を一気に駆け上がります。このシーンも見どころです。 思ったより暗い上に、動きが激しい為、シャッタースピード不足、ブレ気味となりました。 |
弥五郎どんは 八幡神社へと無事、帰ったのでした。 また、来年! さらに写真を掲載した写真メインのページもあります。 → 弥五郎どん祭り(鹿児島県曽於市大隅) 道の駅おおすみ 弥五郎伝説の里弥五郎まつり館 弥五郎どんの銅像の写真──────────────────── |
弥五郎どんは3兄弟的野八幡・弥五郎 (長男) 長壱丈弍尺余=大人弥五郎 岩川八幡・弥五郎 (次男) 身の長け一丈六尺=大人弥五郎 田ノ上八幡・弥五郎 (三男) 長一丈有半ノ偶人=長人弥五郎 [掲載した写真の肖像権、プライバシー権等について]肖像権、プライバシー権等ありますので祭り見学者の方は、本人特定が出来ない程度にボカシ加工を行いました。 PR 弥五郎どん祭り 曽於市大隅の写真 鹿児島観光鹿児島観光サイト Photo Kagoshima 鹿児島観光写真 / MORIMORI |